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人権について思うこと

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人を殺すことがなぜいけないのか

月9ドラマの【ミステリというなかれ】の主人公の言葉を借りると
「(人を殺すことが)いけなくはないんだけど ただ 秩序のある平和で安定した社会を作るために便宜上そうなってるだけ」
ということだそう

それが正しいことだとすると、この世界は秩序を守る人だけが一方的に殺されていく世界
秩序を守りたくない自殺願望のある人が、「死刑になりたいから」という理由で人を殺すのも納得させられてしまう世界

そんな世界に住んでいる秩序を守る側の人間は本当に幸せでしょうか?
秩序を守らない人がいつどこにいるかもしれないという恐怖を感じ続けて生きなければいけないんでしょうか?

今週の礼拝で語られた説教は、人権について少し触れる部分がありました

「人権という考え方は、信仰が無ければ理解できるものではない」

人権というのは科学で証明できるものではありません
では何によって証明されるのか?
本当に信仰にしかないんだと思いました

道徳によって、「この世に愛されてない人なんていない、だから人を殺してはいけない」という考えはどうでしょうか?
もし誰にも妊娠を知られず出産をした女性がいて、その女性が「私は愛していないから」という理由で子どもを殺すことは許されるんでしょうか?

以前書いたブログで、『自分が作った物には愛着がわく』ということを書きました
私は私を造ってくださった神様が私を愛してくださっていることを知っています

神様は

<『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』>
マタイによる福音書22章37-39節

と言っておられます
神様は私たちが愛し合うことを望んでおられる

私は無知で一般に知識としての人権について説明しろと言われてもできないので、ホームページから拾った知識ですが、
『人権とは、私たちが幸せに生きるための権利で、人種や民族、性別を超えて万人に共通した一人ひとりに備わった権利です。』と書かれていました
『私たちが幸せに生きる権利』
〇〇さん、△△さんがいなければ幸せなのにな・・・なんて思ってる人は多いんじゃないでしょうか?
結局悩みの大半は人間関係が多いと思います。その中で人それぞれの幸せは大きくちがう

でも信仰なら、反論できる

『〇〇さんがいなきゃ幸せなのにな・・・』私にもそう思うことがある
だけどこうも思う。
『神様は○○さんをも愛しておられる、神様が愛してお造りなさった○○さんだから、私も傷つけてはいけない。』

神様は<復讐してはいけない、復讐は私がする><汝の敵を愛せよ>と言っておられます
どんなに憎い相手でも、それでもなお愛しなさいと言っておられます

知識としての人権は分かりませんが、信仰としての人権なら分かります
神様に愛されてる私たちは互いに愛し合わなければならない

秩序を守らない人にどう信仰を伝えていけばいいのか、難しいのかもしれません
ですが人の命を奪おうとする、人権を侵害している人たちに伝えていかなければ、戦争はなくなりません

本当に戦争が一日も早く終わることを心から祈っています

ネコ権はありますか?

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