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統一教会とキリスト教のちがいについて

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今回は今話題の統一教会について書いていきたいと思います

まず、みなさんの中に宗教アレルギーをお持ちの方は多くいるかと思います
よくわかります
私も元創価学会員だったので、いかに創価学会が嫌われていたかを身をもって知っています

統一教会も創価学会もなぜ嫌われるのか?
それは、『自分が救われるために生きてるから』です

創価学会の教えでは、誰か他人を折伏(しゃくぶく=創価学会員にすること)すれば自分が救われると言います
人のためと言いながら、結局は自分が救われるためにその人を折伏しているんです

キリスト教は『救いは神様しかできない』ということを知っています
もちろんクリスチャンたちもキリスト教の良さについて他人に話すこともあるでしょう
ですが、その人を救われるかどうかは最終的には神様がお決めになることなので、創価学会のように折って伏させる(折伏)ような強要の仕方はしないのです

そしてもう一つ、

<ルカによる福音書8章39‐42節>
「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

聖書に書かれている言葉です。この言葉にあるように「あなたの信仰があなたを救った。」とイエス様は言われています。
なので本当のキリスト教は、統一教会のように多額の献金を支払ったり、文鮮明(=統一教会の創設者)とセックスしないと救われない(文鮮明が生きているころは本当にそんなことが言われていた)なんて愚かな教えはないんです。

カルトとキリスト教を見分ける違いがあります

それは、キリスト教を騙ったカルトは「イエスは失敗した。」「イエスを信じても救われない、私が本当のキリスト(救い主)である」などと言うやつらがいることです

今回の件で宗教アレルギーがさらに悪化した人も多いかもしれません
他人が救われるためにその宗教に誘っているのか、本当は自分が救われたいから他人を利用しているのか、ちがいを見分けるのは容易なことではないと思います

イエス様に救われたパウロという人が言っています
「愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物(たまもの)を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛が無ければ、無に等しい。」
<コリントの信徒への手紙13章1-2節>

自分が幸せになるための方法を一生懸命教えてくれる人が現れたとします。
その人の言葉が騒音のようにやかましく感じることはないですか?
本当にあなたを愛して救いたいと思ってくれているんでしょうか?

統一教会(旧名は世界基督教統一神霊協会(せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい))のように、愚かなカルトが今後キリスト教を騙ることがありませんように

わが子、歯が生えました( ˘ω˘ )

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