教会に行っていると大切な人がどんどん増えていきます
私のように自分のことだけ考えて生きてきた人間にとっては、会いたいと思える人がこんなにたくさんいてくださるということが、本当に恵まれていることなのだと感じます
とくに私が忘れられない出会いとなったのは、前の教会に通い始めたばかりの頃に出会った、Yさんという80代くらいのおじいさん
Yさんは礼拝中、教会から配られる週報というA4ほどの紙に、空いた隙間を見つけてはいつも絵を描いていました
後から聞いた話で、Yさんは本業かどうかは分かりませんが、大きな作品展で入賞したこともあるくらい絵を描くことが好きな方でした
牧師の説教そっちのけでいつも描いてる…説教を話す牧師の顔や、花瓶に飾られている花など、その席から見えるものを隙間という隙間に描いてる…
芸術家というのは《生きる=描く》ことなんだろうなぁ、とYさんを見ていて思うようになった
いつも夢中で描いてるものだから讃美歌を歌う時に周りが立ち始める時には間に合わずに何ページを開くかわからないでいた
隣に座ることが多かった私はおせっかいかとも思ったけどページを開く手伝いをするようになり、次第に礼拝後、よくお話しをするようになっていた
礼拝後のおしゃべりで、心に残ったお話
Yさんは、小さい頃は裕福だったようだけど、お父さんが事業に失敗して貧乏になってしまったのだそう
事業が失敗した後はいつもお腹が空いてひもじかったけど、裕福な時にお父さんが作ってくれていた特製のカレーがおいしくて今でも忘れられないと嬉しそうにおっしゃっていた
お母さんは家で内職をしていて、夕飯時になると隣に住んでいる人がやってきて、「内職で使うノリにこれを使いなさい」と言って炊いたお米を持ってきてくれていたそう
戦後でどこも貧しかった時代、惨めな気持ちにならないようにと気をつかって「ノリに使いなさい」と言ってごはんをくださった隣人の方を、お母さんはいつも「忘れちゃいけないよ」と涙を浮かべてYさんに伝えていた
そんな話を私にしてくださることがなんとも嬉しくて、あたたかい気持ちになった
ある日の礼拝後は、小さなスケッチブックに描かれた一枚の絵をいただいた
Yさんのお気に入りの場所を描いた風景画で、緑の自然の色がなんともきれいだった
Yさんの大切な一枚をくださったのだなと思うとすごく嬉しかった
お礼に次の週にスケッチブックをプレゼントすると、「これはいい紙質だ…」と何度も嬉しそうに紙をなでていた
ある日、Yさんが礼拝におらず、話し相手がいなくて寂しい気持ちで家に帰った
次の週はお会いできて「先週はどうしたんですか?」とお聞きすると脳梗塞で倒れて入院した、病院のごはんがおいしくてよかったと笑いながらおっしゃっていた
私はすごく寂しい思いがしたけど、大笑いするYさんの人柄もありほっとしてしまった
でもその次の週礼拝でお話ししてからは、Yさんとお会いすることがなくなってしまった
Yさんのご家族は教会に来ることを反対していたようで、連絡を取りたかったけど教えていただけず、突然Yさんとの関わりがなくなってしまった
礼拝後、ぽつんぽつんと静かに話し始めるYさんが大好きで、年の離れたお友だちができたようで本当に嬉しかった
元気でいるのか、それとも脳の病気が悪化してしまったのか、何も分からず、礼拝後、Yさんを思い出して中々立ち上がれなかった
でも何も分からないからこそ、Yさんが今でも元気でいてくださると信じることもできる
教会に通い始めて、Yさんと会えることを楽しみにして礼拝に行っていたあの頃を忘れることはないだろうなぁと時折思い出す
寂しい気持ちもあるけど、Yさんとの出会いに神様に感謝しないではいられない