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最近のゆめ

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小さいころは悪夢しか見なかった
誇張でもなんでもなく、覚えているかぎりの夢はすべて悪夢

物心ついて初めて見た悪夢はクジラに食べられる夢
そのせいか今でも水族館で大きめの魚を見るのがこわい

友だちが夢で「空を飛ぶ夢みた!」とか言ってよろこんでる姿をみて信じられなかった
私の中での『夢』は決まって恐ろしいものだったから

私がキリスト教を知って、教会に通い始めて、洗礼(心からイエス様が自分の救い主であると言い表して、クリスチャンになること)を意識し始めた頃、不思議なゆめを見た

私は海の中にいて、上を見上げると大きな大きなクジラがいる
息ができない感覚はあるから、『早く海面に上がらなくちゃ』とおもう

だけど不思議と恐怖感はうまれない
トラウマであるはずのクジラ、それも昔の夢よりも2倍か3倍大きいクジラなのに、そっと触れてみる余裕すらある

そして次第に『あ~、もう息が続かないから死んじゃうな』とおもう
そして一瞬だけ少し苦しい感覚があったあとに『あ、死んだ』と思って夢からさめる

夢から覚めた時の気持ちは幸福感であふれてた
『死ぬ夢なのになんでこんなにしあわせなきもちなんだろう?』という思いと、
はじめて見た悪夢ではない不思議な夢に、しばらくぼーっとしあわせを噛みしめた

あとから知ったことで、洗礼を受けるときには必ず〈水〉が使われる
頭から水をかける場合や、全身を水に浸かったりする場合もある
水の中で人間は生きていけないことから、水の中で古い自分は死に、新しくイエスさまのしもべとして生き直すという意味合いがある

このことを知って、私の本当の洗礼はあの夢のなかでおこなわれたんじゃないかと今でもおもうことがある

その夢を見たあとから、悪夢は見なくなった

だけど最近悪夢というか悲しい夢、それも状況はちがうけど似たような夢をよく見るようになった

周りにはたくさんの人がいて、その中には私が昔からよく知っている人や、全然知らない人もいる
知り合いと少し話をしたりするけど、次第に誰もわたしのことを見なくなる
わたしも周りの人に話しかけなくなる

主人とおなかの子どもは夢のなかでは出てこない

誰にも必要とされていない

その思いが心に残って目を覚ます

初めてこの手の夢を見たときは、さみしすぎて涙が出た

何回も夢に見るようになって、毎回主人もおなかの子どももいないことから不吉な感覚を覚えるようになった

だけど最近は別の感覚も出てきた

夢のなかでだれも私を見てない、必要としていない
でも目を開けると主人の寝顔があって、大きいおなかの中にあたたかさをかんじる

ほっと安心する
昔の私は夢のなかみたいに孤独を感じることが多かったけど、クリスチャンになってからはいつも周りに信頼できる人がいて、『この人たちとはいつまでも家族なんだ』という喜びをかんじるようになった

結婚してすぐに赤ちゃんを授かって、元気すぎるほどよくおなかの中で動くから孤独を感じるどころか『たまには一人にしてくれ』とさえ思うようになってた

昔の自分を思い出すと、そんな思いがどれほどしあわせな悩みかを実感する

最近クリスチャンの三浦綾子さんという作家の〈ちいろば先生〉という小説を読んだことが心境の変化のきっかけかも
もうすぐ読み終わるのでその時は感想をブログで更新します٩( 'ω' )و

みなさんもぜひ読んで感想を共有しましょーう(∩´∀`)∩

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